【第4回】親子、孫三世代が通院し地域の歯科医療に貢献 大震災後の身元確認では女性開業医で初めての派遣 日本大学松戸歯学部 昭和58年卒業 八巻歯科医院 院長 山口 里恵氏 戸塚区で八巻歯科医院の院長を勤める山口里恵先生にお話しを伺いました。 八巻歯科医院は日本大学歯学部出身のお父様が数十年前に開業し、今はその医院を 引き継ぎ地域の歯科医療に貢献しています。 また、昨年の大震災直後日本歯科医師会からの要請で女性歯科医師の開業医としてはじめて 被災地で遺体の身元確認を行う仕事をされました。 歯科医師になることはいつ頃から目指していましたか? 私の場合父と母も歯科医師でしたが、実は祖父も歯科医でした。そのような環境でしたので小さい頃から歯科医になるのが自然な流れとして受け止めていました。一時期保母さんになりたいと思うときもありましたが、母親からの説得もあり歯科医を目指すことになりました。 現在の仕事についてお話し下さい。 この診療所は父が開業し、私は十数年前から手伝っています。父が数年前に亡くなったので現在院長として跡を引きついでいます。 開業して長く診療しているので親、子、孫と三代にわたって通院している患者さんもいます。 久しぶりに来た患者さんに「あなたの顔を見たら元気になった。」と言われますが、うれしいですね。 診療については絶えず新たな診療知識を追及し、治療に専念する父の姿勢を見て私もそのようにしています。 学生時代はどんなことをやっていましたか? 私は松戸歯学部の7期生にあたりますが、学校も生徒を厳しく育てようとしており留年する人も多くだしていました。ただそのおかげで最後の難関の国家試験に問題なく通ることが出来ました。 部活動は3年生までスキー部に入っていました。ここも練習は厳しかったですね。 ただ学校環境は回りに他の大学があるわけでもないので同じ学部の中で友達とは大変仲良くなり快適に過ごしました。 日本大学の校友会に参加されて感じていることをお話し下さい。 歯科というつながりで神奈川県内の同窓の先生方との交流は活発です。歯学部は駿河台と松戸に分かれていますが、同じ日大の同窓生として皆仲がいいです。 同窓の皆さんとは歯科医師会の活動も積極的に参加していますが、被災地での身元確認の仕事に派遣されたのもそんな関係があったからかもしれません。この経験は私にとっても大変貴重でした。 これからやりたいことをお話し下さい。 これからやりたいことというわけではないですが、スタッフや技工士さんなど医院の運営に関係している人たちが協力してくれていることに大変感謝しています。 このことはいいチームワークが取れた診療につながり、患者さんに対しても良い治療が提供できるのでこれからも皆と一緒に進んで行きたいと思っています。 昨年の被災地への派遣のことですが、当初は震災直後の4月に予定され、沢山のご遺体と向き合うことや留守中の医院や家族のことを思うと行くことに多くの疑問符がつきましたが、「ここで行かなければ女が廃る」という思いで決断しました。しかし、女性はトイレがないなどの事情で派遣は一旦取り止めになりました。 その後7月に歯科医師会を通じて再要請があり、女性の開業医として初めて被災地での身元確認作業を行いました。 現地で行う仕事は歯科所見採取(歯型など口の中のチェック)と身元確認作業です。これを完了することでご遺体を火葬にすることが出来ます。 4ヶ月もたっているため顔での判別は不可能で、口の位置を探すのさえ大変でした。「ご家族にお返ししたいからお口を開けて、お口の状態を見せてね。」と声をかけながらお口を開けていくと私たちの気持ちが解ってくれるのか、と思うほどご遺体は口を開けたままにしてくれました。 私が現地へ行った時期はすでにご遺体が上がる数も減っている時期でしたが総数で21体といつもより多い数になりました。多くのご遺体が上がるので懇意にしている和尚と電話で話したら4才になる前の娘を亡くしている私は痛みを知っているので、ご遺体は私に送ってほしいと思って出てくるのだろう、そして三途の河原で石を積んで遊んでいる私の娘の頭をなでてお母さんに世話になったよといってあの世に行くのだろうという和尚の答えに気持ちが吹っ切れました。 派遣は無事に終えて帰還しましたが、この経験を風化させてはならない、いつ次に私たちの地域が被災県になるかもしれないという思いを強くしました。
訪問を終えて 歯科医として被災地へ行って身元確認を行うことは、肉体的にきついだけでなく、精神的にも相当な負担をしいるものと想像できます。 強い使命感を持っているから出来ることで、このような活動をされている方が校友にいることを誇りに思います。 最近歯科医院の数も増えていますが、どこかに良い歯医者さんはないかと探している方は治療経験も人生経験も豊富な山口先生を訪ねてみて下さい。
八巻歯科医院
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