【第5回】安らかな気持ちでお参りしていただくために、 境内をきれいに掃き清めることが私の務めです。 文理学部英文学科 昭和49年卒業 天台宗正覚寺 住職 八木廣純氏 センター南駅から徒歩5分のところに創建400年の歴史を刻む正覚寺があります。 近隣では花の寺として知られ、6,7月になると広い境内には紫陽花や菖蒲が咲き誇り、多くの参詣客でにぎわうそうです。 同寺で住職を務める八木廣純氏にお話しを伺いました。 とても素晴らしいお庭なので驚きました。 本堂に文化財があるという寺ではないのですが、皆さんにお参りしていただくため、先代が境内に紫陽花や菖蒲を植えたのです。ニュータウンの中できれいにというのが先代の考え方でした。それで父の代で紫陽花寺とか花菖蒲の寺と呼ばれるようになりました。とくに6、7月は紫陽花、花菖蒲が沢山咲き、多くの参詣客でにぎわいます。これまで新聞やNHKで度々取り上げられましたが、その度に境内は人で満杯になりますね。 私は毎朝、境内の庭を掃いています。秋の葉が落ちるピークになると落ち葉掃きで昼前までかかってしまいます。ただ9時開門なので、基本的には9時までにすべて掃除して開門します。 参詣に訪れる方からは、山門を入ると気温が変わり、安らかな気持ちでお参りできると言っていただけます。それは大事にしていこうと思っています。私の仕事は境内を荘厳にしておくことです。 お寺の由来についてお聞かせ下さい。 住職は私で21代目になります。約400年続いている寺ですが、200年前に火災で全焼してしまいました。現在の本堂は火災後再建されたものです。ご本尊は虚空蔵菩薩様です。天台宗でこの仏様をご本尊にしているお寺は少ないですね。脇本尊は薬師如来様で寅年にご開帳します。 ご本尊の虚空蔵菩薩様は智慧と福徳円満を授けてくれる仏様です。昔から13歳になると虚空蔵様にお参りをする「十三参り」という習わしがあります。京都嵐山の法輪寺というお寺ではじまった行事で、13歳になった子供が智慧と福徳円満を授けていただくために参詣するものです。京都では修行僧がお経を覚えるために記憶力がよくなるようにと法輪寺にお参りをしたのが発端だという説もあるようです。 当山でも毎年春休みの3月、小学校を卒業して中学に入学する前に、中学の制服を着てきたり、女の子は着物を着たりして家族でお参りにきていただいていますね。それで本堂でご祈願し、お札をあげてお参りしてもらうようにしています。 「十三参り」の他にどのような行事があるのでしょうか。 境内には大鷲神社があり、毎年、酉の市があります。二の酉では熊手を用意して皆さんに買ってもらえるようにしています。 大晦日には、参詣に来た方に鐘楼堂で除夜の鐘を突いてもらっています。除夜の鐘は本来ならば108つ鳴らすのですが、例年500〜600人の方々が訪れ、夜11時半から並んですべての方に鐘を突いていただくため、終わるのが午前2時ごろになってしまいますね。初詣に参拝に来られる方も多いですよ。 ご住職になる前は、英語の先生だったそうですが。 私は日大日吉(日本大学中学校・高等学校)から、文理学部英文学科に進学しました。英文科を選んだ理由ですが、長男の使命として、やがては住職である父の後を継がなければならないという思いがありました。けれども寺の規模から考えて2人で一緒にというわけにはいかない。父は教員をしながら住職をしていたため、私もまずは教員の道に進もうと思ったのです。どの分野にしようかと考えた時、住職というと大体、国語、社会、歴史を選びがちなんですが、どうせ跡を継ぐのなら、全く関係ない分野を専攻したかった。それで私の高校の時の担任の本橋博先生という英語の先生に憧れて英文学科を選んだのです。ちなみに父も四中(現・日本大学高等学校)を卒業し、大正大学に進みました。 進学後はどんな活動をされていたのでしょうか。 普通の文理学部の学生でしたね。在学中は英会話を磨こうとESSのサークルに入って活動しました。それで英語が上手く喋れるようになったかというと何とも言えませんが。 大学4年の夏休みには、比叡山延暦寺で二カ月間修行しました。一緒に修行した大正大学の学生たちは仏教について専門的に勉強していましたが、修行経験は皆無に等しかったので、彼らと同じ土俵で体を張って修行に打ち込みました。 卒業後は研究室の実験助手として2年間、研究室に残りました。教授に代わって授業の出欠をとったり、プリントをコピーしたり、また当時LL教室がブームで、その準備をしたりしました。そうこうしているうちに上手いタイミングで母校に空きが出て、昭和51年4月に英語の教員として採用されたのです。 日本大学中学校・高等学校の先生になられたのですね。 教員生活はいかがでしたか。 勤務先が母校なので、やりやすい面はありました。けれども教員として勤め始めたばかりの頃は、まだ私の習った先生たちが多く在職しており、同じ教員といっても依然として先生と生徒の関係でした。だから自分のクラスの生徒が何か悪さをすると「八木?担任を呼んで来い」と、体育館に呼び出されて生徒と一緒に叱られてしまう。まるで生徒二人が並んでいるようで、それがつらいといえばつらかったなあ。「お前なにやってるんだ。担任、しっかりしろ」と。新米だからそうやってね。でも10年くらい経ってくると、恩師も同僚という感じで見てくれるようになりました。 お寺を継いだきっかけは 母校には平成15年3月まで27年間奉職しました。52歳でこの寺を継いだのですが、それまでも学校の空いている日曜とか夏休みには寺の行事やお盆の手伝いをしていました。 退職のきっかけは、父の具合が悪くなり、入退院を繰り返すようになったので、存命中に教わるべきものを教わってしまおうと考えたからです。それで父が亡くなる1年半くらい前に寺を継いだのです。私としては数年一緒にやれる期間があるだろうと思っていたので、早過ぎたなとは思ったものの、父が亡くなってから継ぐのは難しいので、たとえ1年半でも一緒にやれてよかったと思っています。 校友会との関わりについてお話下さい。 私は日大高校の教員として同窓会の事務局員をやっていました。その事務局員として大学の校友会のお手伝いもしていたのです。総会では記念品の袋詰めから受付などをやっていました。会計担当もして、これが今に続くご縁になっています。
訪問を終えて いまでは四季を彩る木々に囲まれる境内の庭も、かつては生活のため畑や田んぼだったそうです。それを池にしたのが先々代の十九世。以来、三代に渡って境内を整備し続け、現在に至っているとのこと。お寺には無料駐車場があり、拝観料も無料です。ぜひ皆さん訪れてみてはいかがでしょうか。
天台宗 正覚寺
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