![]() ![]()
藤沢市鵠沼で4代続く網元の有限会社堀川網 取締役 葉山博史氏にお話しを伺いました。 網元として漁をするかたわら、とれたての湘南しらすや干物を直売所で販売しています。また、観光地引網として鵠沼海岸で地引網を行い、8月には湘南桜門会のイベントとしても取り入れられています。 そんな網元の家に生まれた葉山氏はなぜ本学の農学部出身だったのでしょうか? 進路はどのように決めて進みましたか? 実は高校も農業高校の卒業です。その流れで大学は家から近い日大の農獣医へ行って、農学科に入りました。 高校から農業を目指したのはその当時私のところを含めてこの辺りは農業と漁業を兼業しており、収入的には農業9割、漁業1割といった感じでした。それで当時は自然に農業が進路になりました。 卒業後は就職する道もありましたが、自営業である今の家業を早く継いだ方が新しいことを何かやって失敗してもやり直しがきくと思い、卒業してすぐに家業を継ぎました。 現在の仕事についてお話下さい。 さっきお話ししたように20年前は農業が中心だったのですが、今は逆転して漁業9割、農業1割になっています。 今湘南ではしらすが有名になっていますが、このしらす漁が伸びました。湘南のしらすを皆さんに知ってもらうためにテレビの取材にも丁寧に対応してきました。普通漁をやっているときにテレビ取材が入るとそれに時間を合わせるためその日はほとんど仕事になりません。その為テレビの取材を断ることが多いのですが、この地区を有名にするために取材を受けていきました。 今仕事は、朝4時から漁をはじめ昼まで行い、午後から獲ってきた魚の加工にはいります。夕方からは農業の時間で、トマトや藤みのりという大玉品種のブドウを作っています。
学生時代はどんなことをやっていましたか? 部活は柔道部に入っていました。研究室は果樹・蔬菜園芸学研究室です。 私のいた研究室は出欠も厳しく、毎朝8時前には研究室に入っていることを決まりにしていました。 丁度そのころアジが沢山獲れたため、私も朝4時に漁へ出ていました。漁に出て、魚を市場へ運んでから研究室へ行くと決められた時間に間に合いません。このまま研究室を続けるのは難しいので高橋先生に研究室を止めることを告げました。 先生からは事情を聴かれ、特別な事情ということで研究室を続けることを許されましたが、後日先生はしっかり浜まで来て話しが本当か確認されていました。 また、当時はウナギの稚魚も獲っていましたが、これは夜やります。そうすると朝4時に漁、その後学校、夕方5時から7時まで柔道。その後ウナギの稚魚獲りとしばらくやっていたらさすがに過労になりましたね。 日本大学の校友会に参加されて感じていることをお話し下さい。 校友会の活動には仲人をお願いした先生の関係などから湘南桜門会に参加するようになりました。 校友会では他業種の人たちと交流が持て、いろいろな話が出来るのがいいですね。 これからやりたいことをお話し下さい。 子供たちが地引網に来ることも多いのですが、子供たちに海の大切さをもっと知ってもらいたいですね。 地引網にはクラゲもたくさん入ってきますが、そのときクラゲとカメの話しをします。カメはクラゲを食べるのですが、ビニール袋などが海に流れていると間違ってこれを食べて死んでしまいます。こんな話でゴミを捨てたらいけないことを伝えています。 しらすは近隣の学校給食にも出されています。今、ハマグリの稚貝の放流も行っていますが、ハマグリはきれいな海でないと住めません。このハマグリも学校給食で食べてもらい、自分たちが住んでいる近くで獲れているものを食べているという食育に役立ててもらいたいと思っています。
訪問を終えて お話しを聞いていて網元として湘南地区の漁業を発達させ、漁場でもある海を大事にしていこうという気持ちが伝わりました。 観光地引網は1網9万円です。30人位でやることもありますが、1網で200人位できますので、大人数で会社のリクレーションや町内会のイベントなどで使うと割安です。家族で参加できますので、子供さんも参加すると面白い催しになると思います。最近は皆さん地引網の後に浜でバーベキューをやったりすることも多いようです。 湘南桜門会主催の地引網大会
![]() 有限会社 堀川網
|