【第11回】リニア中央新幹線計画で注目される相模原。 地域密着で「住みたい街 相模原市」を目標にしています。
相模原駅前で不動産会社を経営する相模原土地開発株式会社 代表取締役社長 鈴木正彦氏にお話しを伺いました。 鈴木氏は25年程前に2代目社長の急死により同社を若くして引き継ぎました。 また、先ごろJRよりリニア中央新幹線計画が発表されましたが、始発の品川駅の次は橋本駅に決まりました。橋本駅は相模原駅のすぐ隣。リニアで品川駅から橋本駅まで10分で行く予定なので、この地区はリニアの乗り入れにより大きく変わろうとしています。 そんな背景のある地域で不動産会社を営んでいる校友のお話しは大変興味の湧くものでした。 大学卒業後の進路はどのように決めて進みましたか? 家業は相模原がまだ未開の状態の戦後すぐに創設された不動産会社でした。 その為法律と経営を学ぶために経営法学科を選んで進学しました。 卒業後、会社が関連事業としてテニスクラブを始めることになったので、私はそこへ行きました。 4年程テニスクラブを運営した頃、2代目の社長が急死したため、私が後を継ぐことになりました。 現在の仕事についてお話し下さい。 会社は不動産会社として不動産の売買、賃貸物件の仲介、及び物件管理の3つを主体に営業しています。 不動産以外に私が卒業したときからやっているテニススクールと美術館(光と緑の美術館)、それに多目的ホールを運営しています。 不動産に移ってすぐはちょうどバブル目前のころでした。当時、FAXのやりとりだけで現地も見ず、ひと月ごとに売値が倍々になっていく不動産の世界の異常さに先行き不安を覚えました。また、当時の建設省が「不動産は信頼される産業になろう」と呼びかけているのを見て、大事な資産を預かりながら信用されていない業界に疑問を感じました。 そこで、安定収入を望むオーナーさんの立場も理解できますが、やはり住人側の立場に立った建物や空間の利用法を提案し、それを理念に事業を広げようと決めました。 私たちはこの場所で65年間地元密着を念頭にして営業してきました。そのためどこよりも相模原については詳しく、そのことでお客様の役に立てると思っています。
学生時代はどんなことをやっていましたか? 高校は日大三高でそこから日大法学部へ進みました。 テニス関係のサークルに入ろうと思ったのですが、先に他のサークルに入っていたことで出遅れた感があった為学校のサークルには入らず、外部のテニスサークルに入って活動していました。 法学部の1年目は大宮校舎だったので池袋で一人暮らしを始めました。親元を離れての生活はやはり学ぶことが大きかったですね。 先日、級友の何人かで同窓会を開き30年ぶりに会う人もいましたが、すぐに皆打ち解けたのはやはり学生時代につきあっていたことが大きいと思いました。 日本大学の校友会に参加されて感じていることをお話し下さい。 相模原桜門会を立ち上げるなどで、10年位前から校友会の活動には積極的にかかわるようになりました。 それ以前にも社会で校友に接する機会が多く、皆さんが感じているように仕事などでも同窓ということでコミュニケーションが築きやすくスムーズに進むことが多いと思います。 これからやりたいことをお話し下さい。 今、相模原は橋本がリニア中央新幹線の停車駅に指定されたことで大きく変わろうとしています。また、以前から相模原駅の反対側は米軍の補給処となっており使うことが出来ませんでしたが、このうち12haが返ってくることになっています。これら相模原にとってプラスの要因をうまく生かすべく相模原市と一緒になって知恵を出し合っています。 相模原は地震などの災害に対しても地盤が強固な地域で安心できます。そして品川から10分という距離は都心からの本社移転などを考える企業も出て来ると思います。このような企業や人たちへ長年相模原を熟知した私たちでサポートしていきたいと思います。 訪問を終えて 相模原はリニア中央新幹線の駅も計画され、発展が予想される地域と思います。鈴木氏は地元密着で長年この地域で不動産業を営んでいますので、この辺りに住まいを考えている方はご相談されると良いと思います。 また、相模原桜門会の幹事長も務めていますので、この地域にお住まいで校友会に興味のある方はぜひ連絡して下さい。
相模原土地開発株式会社
光と緑の美術館
ゼストテニススクール
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