【第14回】就職から企業経営者へ、そしてボランティア、福祉活動へ。
法学部法律学科 昭和40年卒業
社会福祉法人 誠心会 理事長
しらかばベビーホーム(乳児院)施設長
有限会社湘南安全硝子 代表取締役会長
濱田 徹氏 |
- 独立起業し、約35年の企業経営後に5年前から乳児院、児童養護施設を運営する社会福祉法人(横須賀市)の理事長を務めている濱田徹氏からお話しをうかがいました。
長年実業界に身をおいた濱田氏ですが、インタビュー中には施設にいる子どもたちから「何してのる?」と何度も声をかけられる、そんなお人がらを持った方です。
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しらかばベビーホーム・子どもの家 外観と館内ロビー |
- 大学卒業後の進路はどのように決めましたか?
- 親が警察官関係へ進むことを望んでいたり、叔父が弁護士だったこともあり進学では日本大学の法学部を選びました。
ただ、進学したら法律家や公務員になるより起業して自分で会社を経営したいと思うようになりました。
当時は日本が高度経済成長期にさしかかるころの建築ブームで、丁度大学の求職票にガラス会社があったので建築資材会社として伸びると思って面接に行きました。ところがそこに行くと「君、何か間違っていないか。」と言われました。この会社は建築ガラスではなく自動車ガラスの会社だったのですが面接に合格し就職しました。
もともと将来起業することを目指していたので、この会社で自動車や船の窓ガラスについて学び、営業も身につき30才のときに「湘南安全硝子」を起業しました。
- 現在の仕事についてお話し下さい。
- 「湘南安全硝子」は自動車ガラスと船舶のガラスで業績を伸ばしました。造船を手がけた時期もあり、当時ではまだ珍しいファイバーを使った軽量船や海の中がのぞけるグラスボートの製造も手がけました。その関係で海外との取引きも活発に行いました。
私は中学生のころから指人形やマジックなどを見せるボランティアで老人ホームなどを回る活動をしていました。当時活動の責任者をしていた人がその頃から保育園や障害者施設を運営しており、5年ほど前にこれら社会福祉法人の理事長を引き受けて欲しいとの依頼がありお引き受けすることにしました。
実際の運営に携わってみると長年経験してきた会社経営以上に、施設は人と人が接することが基本であることを痛感します。24時間子どもたちを預かっていることの大変さもありますね。
- 学生時代はどんことをやっていましたか?
- 法学部の授業の中では法医学の授業が興味深かったですね。いろいろな事件や事故を医学的な見地で解明していく授業は面白く今でも印象に残っています。
在学中はアルバイトに追われることも多く、最初燃料店でアルバイトをしていました。そこでは社長の子供の家庭教師も務めました。燃料店の人に誘われて4人で受けた自動車の大型免許の試験に私だけ受かったのですが、この免許のおかげて運送会社などから沢山運転の仕事をもらいました。当時アルバイトで得た収入はサラリーマンで勤めて働くよりずっと大きいものだったので、この辺の経験は将来起業しようという意識につながったと思います。
- 日本大学の校友会に参加されて感じていることをお話し下さい。
- 横須賀桜門会に入ったのは20年位前です。
同窓生とは知らずに仕事などで付き合っていた人が、桜門会に入ったら同窓生だったとわかったといったエピソードはいろいろあります。
社会で日大の同窓生とわかるとお互い一気に距離が縮むのに、地域で校友会が活動していることを知らない卒業生も多いことは残念に思います。
- これからやりたいことをお話し下さい。
- 身寄りがなく一人暮らしをしている老人が増えてきているので、そういう人たちが普通に暮らせるマンションのような老人ホームをやってみたいと思っています。元気なうちに入居して慣れてもらい、入居するときも大金を必要とせず、金銭的な負担があまりかからない普通に生活出来るようなところを作ってみたいと思っています。
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しらかばベビーホーム・子どもの家パンフレット |
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後援会パンフレット |
- 訪問を終えて
- 起業して日本の高度成長期を体現し、海外との取引でもダイナミックな活動は伸び盛りの日本を感じました。また、事業のみに止まらずボランティア活動や福祉活動を行っている姿に日本の社会を支えているお一人であることを感じます。
「しらかばベビーホーム・子どもの家」では後援会員を募集しています。
後援会では
1)施設を旅立つときの経済的な支援
2)大学進学を支援する奨学金制度
3)困難に直面した時に帰れる場所
等を行うために、会員を募集し会費(ご寄附)で運営しています。ご興味のある方は「しらかばベビーホーム・子どもの家」へ連絡して下さい。
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