【第17回】一級建築士を取得したことが、職業人生のベースになっています。
生産工学部建築工学科
昭和55年卒業
株式会社渡辺組 代表取締役 渡邉 一郎氏
団体役職
一般社団法人神奈川県建築士会副会長
一般社団法人神奈川県建設業協会副会長
建設災害防止協会神奈川県支部横浜南分会長
一般社団法人横浜建設業協会建築委員長
|
- 創業1916年(大正5年)。間もなく創業百周年を迎える老舗の建設会社、株式会社渡辺組の代表取締役、渡邉一郎氏にお話しを伺いました。社長として心掛けていることは3カ月、半年、一年後を見据えて仕事をすること。そしてご自身の経験から社員に資格取得を奨励しています。そんな渡邉氏にとって、学生時代は人生のダイヤモンドのような時代だったと回想します。
|
渡辺組正面玄関前 |
- 生産工学部に進学した理由は?
- 家業を継いで建築関係に進みたいと思ったからです。又もう一つの大きな理由は柔道を続けたいと思ったからです。生産工学部の柔道部は千葉県内の大学では当時、郡を抜いて強く、全日本理工科系の大会では優勝の常連校でした。私は日大の生産工学部で学ぶことができてよかったと思っています。建築学科を卒業すると、まず一級建築士の資格を取得するかどうかでその後の進路が変わってきます。日大よりレベルの高い大学出身者でもこの資格を持っていない方がかなりいる一方で、私の同級生などは、結構この資格を持っているのです。一級建築士は働きながら取らなければならないので、結構大変です。けれども資格さえ取ってしまえば、どこの大学でも関係ないですし、その意味で、私は生産工学部で勉強したことが誇りです。
- どんな学生生活を過ごされたのですか?
- 生産工学部の柔道部に入っていました。キャンパスは千葉県の習志野でしたので、4年間下宿して、ずっと柔道漬けの毎日でした。学生時代で印象的なことは、4年時には学園祭の実行委員長を務めたことでしょうかね。
よく文系に比べて理工系の学部は忙しいとかいいますが、社会人に比べたら、理科系でも大して忙しくないですよ。
1、2年生の頃は、授業は真面目に1時限目から出席していましたが、4年になると午前中の授業はほとんどなく、午後からいろいろな授業が詰まっていました。一日の授業が終わると夜遅くまで柔道をやり、帰宅するのはいつも夜10時、11時。それから仲間と麻雀をやったりして、朝起きるのは9時か10時頃といった生活をしていました。
- 卒業後の進路は?
- 卒業して、この会社に入りました。入社してすぐに建築の施工現場に配属されました。社会人になると朝6時半に現場に行き、現場での作業を終えて、翌日の仕事の準備や書類を書いたりすると夜10時、11時になってしまいます。そういう面で学生時代とは大違いでカルチャーショックはありました。けれどもそれが建設業ですから。社会人になって睡眠時間も短くなり、自然に体も痩せてきましたね。約10年現場監督をやりました。その後、営業や管理部門を経て、44歳で社長になりました。
- 職業人生での転機は?
- 一級建築士の資格を取得したことです。これは結構大変でした。毎朝早くから夜10時、11時まで仕事をしていましたから、試験勉強はその後にやらなければなりません。
一級建築士試験を受験するには、大学の建築学科を卒業して実務経験を2年積む必要があります。学科試験と設計製図の試験があるのですが、まずは学科試験を通らなければ、設計製図の試験を受けられません。私は25歳の時、初めて挑戦したのですが、当時、学科試験は土曜日でした。現場監督をやっていると土日は休めないのですが、休みをもらって受験したものの、まったく歯が立たず、これはもう一生受からないと思いました。翌年も突貫工事の現場に配属されました。上司に今週の土曜日は試験だから休みますと言ったら、金曜から休んでいいよと言ってくれて、7月の暑い日に学科試験を受ける予定でした。当時、試験会場は冷房もなく、自分自身、勉強もしていなかったので、会場には行かず、そのままプールに直行してしまいました。その翌年の27歳の時、たまたま大学時代の友人と出会ったのです。その友人が「渡邉、一級建築士の学科だけは受かったんだ」と言った一言にショックを受けました。彼は大学時代、私よりもかなり成績が悪かったのです。それで一念発起して勉強に励み、翌年、学科試験に受かりました。設計製図の試験は2度目の挑戦で、30歳の時にようやく受かりました。
今振り返ると、もし私より成績の悪い彼に合わなかったら、私はまだ一級建築士を取っていなかったかもしれませんね。
私の人生にとって、一級建築士の資格を取得したことが、現在の職業人生のベースになっています。やはり立場が立場なもので、絶対にこの資格を取らなければなりません。その自覚があると、夜中の2時、3時まで勉強ができ、キチッと翌朝6時には起きられるのです。大学時代よりも百倍位勉強しましたよ。
|
|
|
特別養護老人
ホームリバーサイドフェニックス中村町 |
|
横浜市立大学
先端医科学研究センター整備工事 |
※写真は渡辺組で手掛けた建物です。
- 社長として心掛けていることは?
- 常に3カ月、半年、1年後を考えながら仕事をすることですね。昔は3年先、5年先のことを考えられたのでしょうが、今は競争が激しいのでとてもそんな先のことまで予想できません。これは他の経営者の方も皆、同じだと思いますよ。
あとは健康です。夜10時頃に寝て、早めに起き散歩をして7時に出社します。
毎朝8時半に朝礼をやり、幹部社員に話をして、新聞の切り抜きを渡し、気になる出来事を伝えます。
社員には勉強して早く資格を取って欲しいですね。先程お話しした一級建築士の他に、一級建築施工管理技士という資格があるのです。弊社のような工事専門の会社では、こちらの資格を奨励しています。資格取得の勉強をすることによって知識も豊富になるし、仕事にも自信が湧いてきます。
- 最近、嬉しかったことは?
- 現在、娘が大学の建築学科に通っているのですが、家で私と建築の専門用語で話すでしょ、すると息子と女房はわからないわけです。そんな時、ああこいつ、建築の勉強をやっているな、と思うのです。父親として嬉しいですね。
- 皆さんへのメッセージを
- 日大の卒業生であることに誇りを持って欲しいと思います。日大出身者は各方面で活躍している人が多いですし、とくに建築業界では、かなり多いです。それが日大の強さだと思いますね。校友会とは別に建築学科出身者のグループもあり、たまに会食をしたりします。
今、学生時代を振り返ると、あの頃の自分は人生におけるダイヤモンドのようなものだったと思います。親の金で学校に行って、自由奔放にやらせてもらって。学生には、そのような環境を満喫してもらいたいですね。
|
|
|
救護施設清明の郷 |
|
神奈川県立立野高等学校 |
※写真は渡辺組で手掛けた建物です。
- 訪問を終えて
- 「仕事のできる人は朝が早い」。お話を伺って、思わずこの言葉を思い浮かべました。渡邉様は現在、一級建築士試験の試験官もされているそうですが、受験生の目つきと持ち込みOKの法令集の汚さで試験に受かるかどうか大体わかるそうです。
会社紹介
|