【第31回】世界に誇れる持続的なまち「鎌倉」を目指します
経済学部経済学科 平成8年卒業
鎌倉市長 松尾 崇氏 |
- 年間延べ観光客数2200万。多くの歴史的遺産と海と山に囲まれた自然豊かな古都・鎌倉。「すべては鎌倉市民のために そして鎌倉の未来を担う次世代のために」をキャッチフレーズに掲げ、市政改革に取り組む若き市長・松尾崇氏に話しを伺いました。
|
|
|
鎌倉市役所全景 |
|
鶴岡八幡宮二の鳥居 |
- 学生時代はどんな生活を送っていたのですか?
- どっぷりゼミに浸かった学生生活でした。経済学部は2年からゼミに入るのです。私は小林晃先生の貿易論ゼミに入ったのですが、それは貿易論に興味があったというよりも、ゼミ生が面白そうな人ばかりだったから。勉強はほどほどに、ゼミの先輩たちにくっついて遊び回っていました。勉強や遊びを通じて先輩たちから学んだことは多かったですね。なかでも通関士を取った2年上の先輩の話を聞くうちに、自分も将来は何か国際的な仕事をしたいという想いが湧き上がり、通関士を目指して勉強を始め、3年生の時に取得することができました。
- その頃、将来、政治家を目指そうとかは?
- まったくなかったです。父は市会議員でしたが、子供の頃からまず家にいない。父のことで周囲から子供心に傷つくことを言われることもあり、なぜ人から評価を得られないような仕事をしているのだろうかというのがありました。親父が選挙に出ることによって、小学校でいじめられたこともあったので、絶対に親父のようになりたくないと思っていました。
- 卒業後は?
- 日本通運に入社し、通関課という通関士の活かせる職場に配属されました。資格が仕事にダイレクトに生きたということですね。そこで4年弱、航空貨物の輸出入の通関業務をやっていました。通関課は役所相手の仕事のため、残業が少なく、週2〜3回は定時に帰れる社内でも稀な職場でした。
- 政治の世界へのきっかけは?
-
学生の頃は政治についてあまり気に留めていませんでした。けれども、社会に出て会社で働くうちに、社会の矛盾や理不尽さを知り、政治に関心を持つようになったのです。そこで自分なりに政治について勉強してみようと職場近くにあった自民党神奈川県連のかながわ政治大学校に入校しました。講座は平日夜間と週末に行われ、仕事をしながら2年間学びました。なぜ政治大学校に入ったかというと、親父がそういう仕事をしていたから、というのはあったかなとは思います。大学校で話しをしていただいた国会議員の方々の情熱に触れて政治に目覚めたというか、政治ってこんなに面白いんだというのを実感したのです。
- それで政治家に転身しようと
-
ちょうどその頃、江田憲司さんが、橋本龍太郎氏の秘書を辞めて国政に出るという話があり、出る前に本を書かれたのです。その本を読んで感銘を受け、思い切って江田事務所の門を叩き、秘書として採用していただきました。
それで選挙戦を戦ったのですが、しがらみに縛られた選挙のやり方で、結果は相手候補にダブルスコアで負けてしまいました。
私はこれではだめだと思い、政党から離れ、政策的には市民目線で自分なりの政治を地元でやりたいと、およそ1年間、選挙に出るための準備をして市議選に臨みました。子供の頃から海岸の清掃をしたり、学生時代には地元の川の掃除をやって蛍を取り戻すといったボランティア活動をやっていたので、そんな仲間の人たちと一緒にもっと鎌倉をよくしていきたいという想いを描きながら戦った選挙で、市会議員に当選しました。
- トップ当選でしたね。
- はい、おかげさまで。市会議員になってからいろいろとわかることがありました。ウチの親父のことについても支援者の方から、いろんなことで人を助けたり、本当に面倒見がよくて誠心誠意尽していたという話を沢山聞きましたし、どういう志を持って政治をやっていたかを初めて知って大変後悔したのです。父に対して大変申し訳ないことをしたなということが市会議員になってわかってきました。
鎌倉市議は2期6年務め、次に無所属で県議会選挙に出ました。県議選に出たときには、いずれ市長を目指したいという思いは強くありました。
- なぜ市長を目指したいと?
- 2元代表制という中で、議員の限界を目の当たりにし、市長という立場にならないと、本当の意味でまちを変えていく、良くしていくことができないことを実感したからです。
県会議員は最低でも1期4年もしくはそれ以上やるつもりでいたのですが、タイミング的に、ここでやらなければいけないと、1期目の途中で市長選に打って出ました。
|
|
|
一段と美しくなった「段葛」 |
|
多くの観光客でにぎわう小町通り |
- 現在2期目ですね。これから市長として実現していきたいことは?
- 2つあります。
1つは次世代に負担を先送りしない責任ある市政の実現ということ。もう1つは持続可能な世界に誇る鎌倉のまちをつくっていきたい。この2つです。
1つ目は、日本経済が右肩下がりになり、人口減少を迎えた現在、これまでの右肩上がりを前提とした仕組みや制度はもう成り立たなくなっています。これを変えていかなければなりません。このことを市民の皆さんにも強く意識していただく必要があります。役所もスリム化して小さい市役所を目指していかなければいけない。次世代に先送りしない市政の実現は、次に述べる持続可能なまちづくりにつながっていくのです。
- もう1つは?
- 持続可能な世界に誇るまちづくりです。鎌倉には禅や武士道といった日本の精神文化の原点があります。最近、マインドフルネスが世界的に注目されていますが、禅が鎌倉で興隆したこともあり、世界が求める禅の精神は鎌倉が原点だということをもっと広く発信していきたい。鎌倉はその使命を負っているまちではないかと思っています。
さらに言うと、鎌倉は頼朝公が開いた地です。頼朝公がやったことは当時でいえばまさに革命を起こしたということ。その精神で新たなライフスタイルのモデルを発信していきたいです。
例えば毎日、満員電車に乗って東京まで行き、企業戦士としてへとへとになって働くというのではなく、朝、サーフィンやジョギングを楽しんだりして気持ちよく会社に行き、夜は家族と団らんを楽しむ。そんなワークライフバランスや生活の質に重点を置いた新しいライフスタイルを鎌倉の市民が実現していけるようにしていきたいです。
- その一方で、現状の課題は何ですか?
- 改革に抵抗はつきものですが、何かを変えるとか、今あるものを変えることに対してものすごく抵抗を受けます。それをいかに乗り越えていくかが最大の課題です。
そのためには私自身が様々な課題や困難に直面しても挫けず、目指すビジョンを実現できる政治家になっていかなければいけません。それを日々自覚しながら仕事に取り組んでいます。
私としては特に次世代に向けてどう政治が向き合っていけるかを大切にしているので、子育てのこととか、教育の充実を意識しています。子供たちが生き生きと健全に育っていける環境をいかにつくり上げていくかも課題の1つです。
- 校友会との関わりはいかがですか
- 選挙には無所属で出馬し、その意味では、しがらみなく出たと言いましたが、選挙期間中は日大卒だから応援するよと言って声を掛けていただいた方が非常に多かったです。これはありがたいなと思いました。私にとって選挙をする上で大きな力になりました。校友会や鎌倉桜門会の活動もそういう意味での恩返しであり、それがあったからこそ今の仕事をさせてもらっているので、できるかぎり校友会や鎌倉桜門会に参加し、なにかできることは尽力していきたいという思いでチャレンジしています。
|
鎌倉は頼朝公ゆかりの地、「ササリンドウ」の市旗と歴代市長の写真の前で |
- 訪問を終えて
- 今年3月、長谷の大仏が半世紀ぶりの大修理を終え、同時期に鶴岡八幡宮の参道「段葛」も大改修を終えて一段と美しくなりました。翌4月には「『いざ、鎌倉』〜歴史と文化が描くモザイク画のまちへ〜」が文化庁から日本遺産として認定されました。これから2020東京オリンピック・パラリンピックに向けてより多くの方に、鎌倉のよさに触れていただきたいと思います。
市役所紹介
|