ホーム活躍するOB・OGたち  第33回

第33回 日々の治療をこなしながら研究を続ける獣医師

農獣医学部農業工学科(現:生物資源科学部)  
昭和47年卒業
厚木市長 小林常良氏

「経営革新度」812市区中全国1位。「みんなでつくろう元気なあつぎ」をスローガンに様々な市政改革に取り組み、来年11月にはアジア地域セーフコミュニティ会議開催都市となる厚木市の小林常良市長に話しを伺いました。


厚木市役所全景

大学の進路はどのように決めたのですか?

高校時代に先生から「どうせ進学するなら一番難しい学科へ行け と言われ、農獣医学部農業工学科に進みました。農業工学科は、農獣医学部の中でも土木系の学科です。高校1年から大学卒業までの7年間にわたり建設関連会社でアルバイトしていたのですが、ここでの経験が学科を選ぶ決め手になりました。たまたま道で募集看板を見つけた日当1,200円の仕事で、当時としてはいい金額でした。橋を架ける機械の操作を覚えるなど、元々モノをつくるのが好きだった私の好奇心を刺激したんでしょうね。一番難しい学科かどうかは分かりませんけどね。

学生時代はどんな生活でしたか?

片道2時間かけて三軒茶屋のキャンパスに通う毎日でした。全国各地から学生が集まる大学で、学生生活を通じて今でも付き合っているかけがいのない仲間ができたことは生涯の宝です。彼らとは一緒に交遊し、よく互いの実家に泊まりに行き合いました。
また、農業工学科は、圃場整備の実習が必修科目でした。圃場整備とは、耕地区画の整備や用排水路、農道の整備、土層改良を実施することで、農村の環境条件を整備することです。この実習で学生は、全国各地の圃場に派遣されるのです。私は愛知県犬山市で、2カ月間にわたる実習を経験しました。この実習で体を動かしての「苦労と楽しさ」を学び、「物事の本質は現場でしか得られない」ことを痛感しました。仲間づくりと圃場整備。これが4年間で一番の思い出です。

卒業後はどうされたのですか?

建設関連の仕事に就きたかったのですが、当時は該当する就職先があまりありませんでした。私は末っ子で兄は早くに亡くなっていたため、「年老いた両親を安心させたい と、地元の厚木市役所に就職しました。
市役所では、まちづくりに関わる部署に配属されました。私の仕事は「公園や駅前広場をどうつくればいいか」と、現地に行って区域の面積を測り、完成をイメージしながら設計図を書きます。次にどんな材料を使うかを考え、コストはどのくらいかを積算した後、入札して業者を決めていきます。発注後は、自分が設計したイメージとの食い違いやミスはないかを確認し、完成するまでを見届けるのが流れです。この仕事が面白いのは、自分が手掛けたものが今でも残っているということ。実際に造るのは業者なので、建設関係の方には「皆さんは地球の彫刻家だね と伝えています。


厚木市立中央図書館や厚木市子ども科学館を有する厚木シティプラザ

政治の道へのきっかけは?

市役所には19年勤めたのですが、「役所は本当に市民のことを考えて仕事をしているのだろうか と、上の人と話をするなかで疑問に思ったことがきっかけです。当時の上司は、現場で起きている問題を報告しても、「まあ、いいよ、そんなこと」と困難な仕事は避けようと取り合ってくれませんでした。組織にありがちなことかもしれませんが、40年前の役所はそんなものでした。本質的には、そんな役所の組織風土に対する反発が強かったということでしょうね。自分の現場感覚と現場から離れた上司との感覚の差が少しずつ広がっていたのです。このままの状態でいるのは自分らしくないと思い、退職して市議選に出たのが41歳の時でした。立場が変われば役所の姿勢も変えられるのではないかと思っての立候補でしたが、いざ市議会議員になって頑張ってみてもなかなか変わらない。市議を3期12年務めたのですが、ここでも限界を感じ、もう少し頑張ろうと出馬したのが神奈川県議会議員選挙でした。当選して県議になると、社会に対する視野が広くなり、さまざまな分野の人脈も築くことができました。しかし、「ここも自分の居る場ではないな と思ったのが正直な気持ちです。現場で育った自分としては、県のやっている仕事と有権者との間に距離を感じたからです。それで県議を3年少々務めた後に厚木市長選挙に出て、平成19年2月に市長になりました。

現在、3期目ですね。 市長として心掛けていることは何でしょうか?

「現地対話主義」と「市民協働」。この2つが一貫して揺るがない私の政治信念です。さらに言うと、市長の仕事はさまざまな人の意見を聴き、公平に判断することが求められます。その判断を間違えないようにするため、心の中にもう一人の自分をつくるようにしています。地位や名誉といった欲を捨てたもう一人の自分に問い掛け、結論を間違えないようにいつも心掛けています。
それと私たちの仕事はやってなんぼの世界。仕事を一生懸命やることは大切ですが、プロセスを間違えると、ボタンの掛け違いが生じてしまうことがあります。「段取り八分」と言いますが、まずはしっかりと段取りを組み、それができたら何があろうとやり抜くことを心掛けています。もし、これで評価されないのなら、潔く辞める覚悟で日々仕事に取り組んでいます。


平成26年の第9回マニフェスト大賞で優秀マニフェスト賞(首長)を受賞
授賞式で北川正恭審査委員会委員長と握手を交わす
※第6回(平成23年)マニフェスト大賞でもマニフェスト大賞優秀賞を受賞

さまざまな改革に取り組まれ、 「経営革新度調査」で全国1位と伺いました。

「経営革新度調査」とは、日本経済新聞社が発行する「日経グローカル」が、全国812市区を対象に「透明度」「効率化・活性度」「市民参加度」「利便度」の4つの要素から、自治体の革新度合いを評価してランキングとして発表したものです。平成25年の調査での日本一は、市民協働を推進してくれている市民の皆さんの力で勝ち取った成果です。その前の調査では三鷹市に次いで2位でした。それで何か変わったのかという人もいましたが、全国1位になったことで喜んでくれた人は多かったです。
私は市長になってから、地域をもっとよくしようと社会教育にも力を入れています。社会教育には、子育て、まちづくり、市民協働などすべてが含まれます。私はこれまでの行政主導という考えはダメで、自分たちのまちは住民みんなで良くしていくという発想に立たなければならないと考えています。そのためには、人々の意識が変わることが必要です。これはなかなか容易ではなかったのですが、それをやり通した結果、地域の住民が非常に協力的になってきました。ここまで来るのは大変でしたが、地域の拠点であるそれぞれの公民館が神奈川県や文部科学省から次々と表彰されているのはうれしい限りです。


経営革新度全国1位のポスターと共に

市役所本庁舎玄関前に「セーフコミュニティ認証都市」とありましたが、 それはなんでしょうか?

セーフコミュニティとは、事故や怪我は偶然の結果でなく、予防できるとの理念の下、地域住民と行政などが協働して「地域の誰もがいつまでも健康で幸せに暮らせるまち」をつくろうという世界保健機関(WHO)が推奨する取り組みです。厚木市は平成24年に国際認証を取得し、国内3番目のセーフコミュニティ認証都市となりました。
私は現在、全国セーフコミュニティ推進自治体ネットワーク会議の会長も務めています。平成30年11月には厚木でアジア地域セーフコミュニティ会議を開催します。そのためにも全国自治体の範となるべく、さらなる安心・安全に関する活動に取り組んでいかねばならないと思っています。

最後に、校友会活動へ一言。

人との繋がりは大事ですね。校友会活動には、これからも全面的に協力させてもらいます。


厚木市のランドマーク「アミューあつぎ」は、市民の活動拠点である
「あつぎ市民交流プラザ」の他、様々なショップや映画館からなる複合施設

訪問を終えて

厚木桜門会顧問、校友会神奈川県支部副支部長を務められる小林常良氏の市長としての新たな一面を伺うことができました。厚木市のさらなる発展のために、これからも益々のご活躍を期待しています。

市役所紹介

厚木市役所 
住所:厚木市中町3-17-17
TEL :046-223-1511(代表)
開所日時:8:30~17:15
ホームページ:http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/

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