ホーム活躍するOB・OGたち  第40回

第40回 老化防止にはカラオケが一番!藤棚商店街をもっと盛り上げようと、コミュニティスペース「ピュアステージ」をオープン

農獣医学部林学科 
昭和47年卒業
ピュアステージ オーナー
株式会社Rei23 映画監督 プロデューサー
市川 徹氏

市川 徹氏は2023年8月30日にご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

テレビ神奈川で音楽・バラエティ番組を企画製作した後、映画監督として、これまでに80本を超える映画を製作。昨年、藤棚商店街を舞台にした映画の製作がきっかけで、このまちをもっと盛り上げたいとカラオケのコミュニティスペースをオープンした市川徹氏にお話しを伺いました。

日芸かと思っていましたが、農獣医学部ご出身なのですね。

はい。実は当初、医者になろうと思っていたんです。親父が鶴見で開業医をしていたのですが、僕は4人兄弟の末っ子で、兄3人はだれも医者を継いでいない。
そこで末っ子の僕が親父の後を継いで医者になろうと思い、医学部を受験したのですが、結局どこも受からず、一浪して日大農獣医学部に合格することができました。当時、農獣医学部には入学後、医学部に転部できる医進コースというのがあったんです。医学部に落ちた人が受けるためか、なぜかこのコースだけ試験日がちょっと遅い。入学した途端、日大闘争が始まり、そのコースは速攻クローズドになってしまった。それで大学から好きな学科を選べというので、あまり真面目に考えず、なんとなく林学科を選んだのです。

どんな学生生活を送られたのですか?

2年間まるまるロックアウトですから、毎日がアルバイトですよ。僕は高校時代、文芸部に所属していたので、文章を書くのは嫌いではなかった。一番上の兄がベースボールマガジン社に勤めていて、創刊した『ゴルフマガジン』の「私のゴルフ歴」というコーナーのライターを担当させてもらいました。ゴルフ好きな有名人を取材し、さも自分が書いたようなことを書く。加山雄三とか、いろいろな有名人に会えて楽しかったです。それ以外に陸送もやりました。日産追浜工場から輸出用の車を本牧ふ頭まで深夜左ハンドルで運転する。それはギャラがよかったです。あとは悪い仲間に誘われて遊ぶ毎日でしたね。
大学がロックアウトですから、試験は答案用紙が家に送られてくるので、どんな科目も優です。ですから早い内に単位はすべて取れました。家でできない体育は、3、4年で集中的にゴルフに行くとかで取りました。そんな感じで4年間学生生活を謳歌しました。

卒業後はどんなことを?

ちょうどテレビ神奈川(TVK)開局と重なり、一期生として入社しました。TVKでは編成、営業、制作となんでもやりました。
僕の企画した番組を若い人が見ていましたと言われると嬉しいです。いろんな番組をつくりましたが、なかでも視聴者から電話で洋楽リクエストを募る生番組「ファンキートマト(略称:ファントマ)」は忘れられない思い出のある番組です。当時、なぜトマトなの?とよく聞かれたのですが、元TBSアナウンサーの遠藤泰子さんがやっていた赤坂のプチトマトというお店で企画書を書いたので、その店名をタイトルにつけたんです。
番組製作以外に映画の買い付けもやりました。TVKは予算がないからいい映画を買い付けられない。それじゃというので、『ジ・アダルト』というタイトルで映倫の通っている海外のエッチな映画を深夜にやろうと企画。そうしたら「『ジ・アダルト』放送!」と新聞にも取り上げられた。ところが放送前日になって「県が資本を出しているから、ちょっと待て」と言われ、結局ダメになってしまった。その後、そのタイトルは外してバラバラに放送したのですが、視聴率はよかった。やはり人間はここか!と思いましたよ。そんなふうにTVKでは好き勝手にやらせてもらいました。

充実していたのになぜTVKを辞めたのですか?

たまたま知り合いが「ある会社で芸能部門を持ちたいので責任者を探している」というので行ったら、「ぜひ来てください」と言われ、あまり何も考えずに行動する僕ですから、まあそれもいいかなと思って移りました。事務所所属の清水宏次朗が『ビー・バップ・ハイスクール』でガガガっと売れたものですから、この世界は当たると面白いなと思い、そこを辞めてタレントプロダクションを設立しました。おかげさまで2、3人売れて、最後はテイチクからお金を出してもらってレーベルをつくらせてもらいました。そんなことをやっている最中に、やっぱり映画もいいなあと思ったんです。間寛平さん主演の『ファンキー・モンキー・ティーチャー』をプロデュースしていたら、ヒットして三作目を撮ることになったんです。寛平さんから「今まで二作やった監督、お笑いがわかってないんよ。市川さんやってみいな」と言われたので、「できるかな~?」と言ったら、「できるって~」と。割と気楽に、それが映画監督のスタートです。その頃、製作会社と芸能プロダクションの2つを持っていたのですが、芸能プロの方はマネジャーに譲って、映画製作にまい進しました。青春ドラマ、やくざ映画などVシネマ中心に80本以上の映画をつくりました。

ご当地映画の巨匠とも呼ばれていますね。


「さくら、さくら―サムライ化学者、高峰譲吉の生涯」DVDケース

母校の浅野学園の創立者で、京浜工業地帯をつくった実業家、浅野総一郎の映画『九転十起の男』がきっかけで、浅野総一郎の出身地、富山県氷見市との縁が生まれ、そこに6年間住むことになりました。この映画を撮り終えてから、同じ富山県高岡出身の高峰譲吉を主題にした『さくら、さくら~サムライ化学者・高峰譲吉の生涯』を製作。その隣の氷見市で「映画づくりって面白いな、こんなことをしてまちが少しでも認知されるのだったら」と、フイルムコミッションをつくったのです。「その記念で一本つくってくれないですか?」「予算は?」「80万」。「えっ?80万ですか?」普通だったらギャラにもならないんですけど、そう言われてなぜか面白くなり、渡辺裕之主演の『万年筆』という映画をつくりました。結局200万かかって120万の赤字を出してしまいました。けれどもこれがきっかけで、こんなに安くできるのだったら水戸でも撮ってと茨城県から声がかかり、撮ったのが『桜田門内の変!?』という映画です。佐藤純彌監督の『桜田門外の変』で使った巨大なオープンセットが水戸に残っていて、あと2年で壊してしまうというので、じゃそこから何か考えようと作ったんです。映画では渡辺裕之さんが映画プロデューサーの詐欺師役で、内容は100%フィクションですが、自治体と地域の市民が全面協力してこの映画をつくる製作過程を描いたストーリーです。そうしたら福井のケーブルテレビから、ウチでも作ってくれないかと言われ、『HAPPY! メディアな人々』を製作。さらに高岡町おこシネマ製作委員会の協力により、プロ野球独立リーグであるBCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)を舞台にした『TAKAOcan Dream~がんばれ! サンダーバーズ!!~』をつくり、それを観た水橋地区の人からウチもつくってくれと、自治体や市民協力での地域密着映画がバアーッと広がりました。そんなことをずっとやってきています。

どうして横浜に戻られたのですか?


ピュアステージの外観、2階には映画館

富山は雪国でしょ? 毎年冬になると雪下ろしとか、駐車場に出たり入ったりするとくたくたになってしまって、歳も歳なものでもう戻ろうと横浜に戻ってきたのです。
「三年目の浮気」でヒットした黒沢年男の弟の黒沢博さんが藤棚の出身なのですが、彼のCDづくりの手伝いをして、そのCDをベースにした映画を撮ろうと、昨年1月に藤棚商店街を舞台に映画をつくりました。その時に商店街の皆さんと知り合いになりました。この店の2階にあるシネマノベチェントという映画館で、僕のまちおこし映画をいつもかけてくれていたので、たまに来ていたのです。黒沢さんと僕とは同い年で、このまちをもっと盛り上げようと「僕も一緒に手伝いますから、皆が集まれるようなお店をやりましょう」「じゃあやりましょう」と意気投合して店を始めようとしたら、黒沢さんが体調を壊されてしまったため、結局僕が一人で始めて。昨年8月にオープンしました。

なぜカラオケ店を始めようと?


ピュアステージ店内の様子

カラオケ屋がいいなと思ったのは、カラオケルームと違って、知らない人同士がコミュニケーションを取れるから。ですから僕はカラオケパブと言わず、カラオケを中心としたコミュニティスペースというコンセプトで店を開きました。自分でもカラオケが嫌いではないですけれど、歌うと体調にいいんですね。これは医学的にも認められていて、特にカラオケがいいのは、歌詞を見なければいけないので、目を一所懸命に使うじゃないですか。それに耳も使う。歌うので、呼吸が鍛えられる。デュエットになると相手の気持ちも考えなければいけないので、相手に対して気を使う。歌い始めると、新しい歌を覚えてやろうと結構、脳を使うんですよ。いわゆる痴呆防止になるという医学的な結論も出ていて、歌うことは本当にいいことなんです。カラオケルームだと友達が見ているだけですが、ここだと皆が見ている緊張感があるじゃないですか。ストレス解消とお年を召した方は痴呆予防にもなります。

お店の特徴を教えてください。

普通、カラオケ屋さんは飲ませるだけで、どこかで食事してからカラオケ屋に行きますが、それを打破しようと料理をたくさんそろえています。例えばチリコンカンは、元々メキシコからアメリカに渡った料理ですが、どの居酒屋にもないだろうと思います。その他、藤棚ラーメンも考案して、まだまだ皆さんに認知してもらえないんですが、醤油味でもとんこつでもなく、ちょっとお味噌を入れた風味があって摩訶不思議なラーメンです。でも、いままでお出ししてほとんどの方が最後の最後までスープを飲まれます。それにチャーシューも手作りです。夕方になると女優で共同経営者がきて3人でやっています。今度、ここを舞台にした『カラオケ屋兆治(仮称)』という映画を撮るんです。『居酒屋兆治』とは違う映画ですよ。この店のオーナーが藤棚のまちの人たちと心を通わせていくというような話なんですけど。まあそんなことをして地元ともっと密になってお客さんにもきていただければと思っています。

卒業後校友との付き合いはいかがですか?

中学から大学まで一緒だった親友が近くに住んでいてほとんど毎日、店にきてくれます。何でも話せる友人は大切ですね。夕方以降は大体店にいますので、校友の皆さんにもぜひ来ていただきたいです。


常連客でフリーライターの入江和夫氏(芸術学部OB)は浅野中学以来の親友

訪問を終えて

藤棚といえば夏の風物詩、願成寺の日限地蔵尊の縁日が有名ですが、「ピュアステージ」はこの願成寺の向かいにあります。料理の品数も豊富。聞けば市川監督ご自身がシェフもなさっているとか。監督はとても明るく気さくな方です。カラオケと食事を楽しみつつ、お時間があれば映画製作の裏話など聞かせてくれるかもしれません。

店舗紹介

ピュアステージ
住所:横浜市西区中央2-1-8岩崎ビル1F
TEL:045-548-5977
ホームページ:http://www.hiruyoru.com/
営業時間:11:30~22:30(昼カラ11:30~16:30、夜カラ17:00~22:30)
定休日:日曜日

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