ホーム活躍するOB・OGたち  第23回

第23回 横浜野毛から魅力溢れる文化を発信

経済学部経済学科 昭和43年卒業
博物館Cafe & Barうっふ/ル・タン・ペルデュ/むごん劇かんぱにい 代表
パフォーマー
野毛大道芸初代プロデューサー イクオ三橋(三橋郁夫)氏

1986年、野毛の街おこしとしてスタートした野毛大道芸も今年で29年目。いまや観客動員数42万人を誇る横浜を代表する一大イベントとして知られています。今回は、この野毛大道芸の初代プロデューサーにして、パントマイムのパフォーマーであり、野毛に3つの店を経営し、丹沢にある自前のサーカス練習場で後進の育成にも努めるイクオ三橋さんに話を伺いました。


大きなステンドグラスのある店内(うっふ)


カウンター(うっふ)

大学はどのように決めて進みましたか。

高校は日大藤沢高校で、3年間、演劇部に入って活動に明け暮れていました。大学の進路を選ぶ段になって、芸術学部も考えたのですが、そこに進んで中退した先輩たちを見て、自分としては堅実なところで経済学部を選びました。

どんな学生生活を送られたのですか。

入学したものの、授業にはほとんど出席せず演劇活動に没頭していました。最初、俳優の笹一平さんが主宰する創作劇の劇団に入団し、翌年からは俳優座の流れをくむ劇団世代に入って活動をしました。
当時、経済学部では1年生が世田谷の文理学部のキャンパスで、2年から三崎町に移ります。三崎町は大学のキャンパスというよりも、校舎がまるで会社のような建物でした。当時、三崎町から御茶ノ水に行く途中にコペンハーゲンというビアホールがありました。そこには庭があって、庭でもビールが飲めたのです。まるで外国にいるような雰囲気が好きで、学校に行くたびに、よくこの店に行ってビールを飲んでいました。あの界隈を散策するのが好きでしたねえ。

卒業後は?

就職せず、そのまま演劇を続けました。演劇をやっていくうちに、言語では言い表せない人間の内面を追求し、肉体を通じて表現するパントマイムに魅せられ、日本マイム研究所に入門しました。そこでパントマイムを学びつつ、石丸富士夫という相棒と「ザ・パントマ」というコンビを結成したのです。当時、浅草の松竹演芸場でやっていた「デン助劇場」の幕間に出演したり、翌年はNHKで山川静夫さん司会の「ひるのプレゼント」に1年間、レギュラー出演したりしていました。
「ザ・パントマ」の名付け親は早野凡平さんです。凡平さんが僕らを見て「じゃ『ザ・パントマ』でいいだろ」と。凡平さんは日芸中退ですね。
「ひるのプレゼント」は週5日、全て新ネタでやらなければなりません。そこで仕事が終わった夜にネタを仕込むのです。酒を飲んでしまうと、もう何もアイデアが出てこない。だから作家と相棒と僕の3人で喫茶店を何軒もはしごしてネタを仕込みました。この20代前半の経験はすごい修業になりました。これを1年間続けて自信はついたけれど、カラカラの抜け殻状態になって降板しました。僕らが降坂し、入れ代わりで出演したのが、当時まだ無名だったツービートです。
「ひるのプレゼント」に出演していた後半から、自分の演技力をもっと磨かなければと、当時、ニコラ・バタイユ先生がやっていた演劇教室に飛び込んだのです。バタイユ先生はフランス人の演出家ですが、俳優でもあり、映画「死刑台のエレベーター」や「地下鉄のザジ」などにも出演した人です。知日派で紀伊國屋演劇賞や日本で勲章も受賞しています。ちょうどその頃、日本に滞在していて、寺山修司など演劇人と交流したりNHKフランス語会話の講師として出演したりしつつ、演劇教室を主宰していました。その時の助手が岡田正子先生でした。助手とはいってもすごい先生です。日本に知られていないフランス現代作家の優れた作品を数多く紹介し、自ら翻訳し演出もされた方です。
そんなことをやっているうちに「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」のプロデューサーを務めた日本テレビの井原高忠さんが赤坂コルドンブルーでレビューショーの制作に携わることになり、僕らにも声がかかって出演することになったのです。ただ、その頃はもうフランスに行くことを決めていたので、3カ月だけ舞台に立ち、その後、相棒と二人でパリに飛んだのです。1971年9月のことでした。

パリに行ってどうされたのですか。

ピノック&マトという二人の女性が主宰するパントマイムを中心とした演劇学校に入ったけれど、僕らはすでにプロとしてやっていたから教わることがない。先生が演技を見るなり、あなたたち次から教えろと言われた。そして先生たちはさっさとアフリカへ公演旅行に行ってしまったのです。これにはビックリですよ。それで仕様がない、言葉もしゃべれないのに教えたのです。生徒たちは皆、僕たちをバカにしてやらないですよ。けれども一応それが実績になりました。10カ月経ち6月終わりから学校が休みになったところで、お金もないし日本へ帰ろうかと思っていたら、マトが「帰って何するんだ」と言うので、特にあてもないけれど、1年のつもりだから帰ると言ったら、「残れ」と言った。それで「私たちと一緒に新しい作品をつくろう。新作をつくってあなたも出ろ」と。「泊まるところと生活費は皆、保証してくれるか」と僕が言ったら「する」というので残ることになったのです。
3,4年一緒にやった後、僕も相棒も独立してそれぞれが自分のグループをつくり、フランス中回って公演しました。ちょうどそのころ国立サーカス学校ができて、パントマイムの講師として教えるようになったのです。フランスには、まる10年いました。
当初、家内は日本にいて、年に一度フランスにやってくるという生活をしていました。3,4年経ってから、家内も呼び寄せてフランスで生活していたのですが、家内が妊娠し、日本で産みたいというので帰国することにしました。子供を産んだらまたフランスに戻るつもりでしたが、結局、戻らず、そのまま日本で生活することになりました。

帰国して生計はどのように?

帰国したものの、日本には10年間いなかったので、基盤が全くありません。
フランスに居た時、もし日本に帰国したら、食べていけるのはちんどん屋だろうと思っていました。それも西洋ちんどん屋。そんなことを考えていたので、フランス滞在中に大枚をはたいてストリートオルガンを買ったのです。当時で500万しました。職人の手作りですから、今はもっと高いですよ。帰国後は、各地のイベントでストリートオルガンを演奏して僕がパントマイムをやりました。すると人がたくさん集まってくるのですよ。銀座の田崎真珠のオープニングでもやりました。当時、1日のギャラが30万でした。これで家族1カ月食えるのです。これを1~2年やっていましたね。その間に大道芸を始めたのです。
野毛坂に家を借りて、1階をパントマイムのスタジオにし、毎週日曜日にサンデーマイムシアターと言って、パントマイムの劇場も始めました。
野毛坂の自宅前や「ちぐさ」(かつてあったジャズ喫茶)の前でパントマイムをやったら、見物客がやってきて1時間ぐらい動かない。それで、これはやれそうだな、とその時思ったのです。
その頃、僕は「渋谷ジャンジャン」で毎日仕事をやっていましたが、客はそれほど入らない。この商売はまともにやるには難しいと思っていたのです。これからは、まさに大道芸の時代だと思いました。82~83年のことです。正式に野毛大道芸として始まったのが86年ですが、実はその前から僕はやっていたのです。
その後、しばらくして野毛本通りに「むごん劇かんぱにい」というサーカス用品専門店を開き、続いて「ル・タン・ぺルデュ」というベルギービール専門店を開店しました。この店は日本で最初にベルギービールを出した店です。
昨年12月には、念願だった「博物館Cafe & Barうっふ」をオープンすることができました。この店の入り口の木製扉は、ベニー・グッドマンの自宅玄関ドアを移築したものです。ここで酒を飲みながら、サーカスや大道芸、ライブを鑑賞し、思い切り楽しんでもらおうと思っています。


ベルギービール専門店「ル・タン・ペルデュ」2階はサーカス用品専門店の「むごん劇かんぱにい」


吹き抜けにある空中ブランコ(うっふ)


ベニー・グッドマン邸から移築した玄関扉(うっふ)

最後に何かメッセージを

丹沢にサーカス練習場を持っているのですが、生物資源科学部の学生3人が、ここでジャグリングの練習をやっています。そのうちの一人は鶏を十羽ほど飼って敷地内にある小屋に住んでいます。僕は学生時代、大学にはあまり行かず、もっぱら演劇活動にのめり込んでいましたが、日大には本当にさまざまな、時に規格外の学生がいたりして面白いですね。今振り返ってみると、その頃の経験が現在の自分の土台をつくっているといえるかもしれません。

訪問を終えて

「博物館Cafe & Barうっふ」は、その名の通り、店内に大きなステンドグラスやストリートオルガン、シトロエンからくり劇場など数々のヨーロッパのアンティークが展示され、吹き抜けには空中ブランコもあります。オープン当初からテレビや雑誌、新聞でもたびたび紹介され、野毛の新たな文化の発信地となりそうな雰囲気の店です。野毛に来たら、ぜひお立ち寄り下さい。

店舗紹介

ル・タン・ペルデュ&むごん劇かんぱにい
URL : http://www.letempsperdu.info/
住所 : 横浜市中区野毛町2-78
TEL : 045-242-9777
営業時間 : 18:00~24:00
定休日 : 月、火曜日
博物館Café & Barうっふ
住所 : 横浜市中区宮川町2-23-4
TEL : 090-2466-5293
営業時間 : 平日17:00~23:00 土日15:00~23:00
定休日 : 火曜日

活躍するOB・OGたち一覧へ